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『無限な精神をもつ有限なる我々は、ただ苦悩と歓喜とのために生まれた。そして、ほとんどこう言うことができるでしょう。最も優れた人々は、苦悩を通じて歓喜を勝ち得るのだ、と。』、と彼は手に持っていた本の一部を読み聞かせてくれました。幼かった私には何のことだかわかりませんでした。本の著者が、この一部を読み聞かせてくれた彼が、何を考えていたのか、何を伝えようとしたかったのか…。でも、数年の年月を経て、ようやく理解することができたと思います。幼かった私には経験もなければ、知識もありませんでした。しかし、あの頃になかったたくさんのモノが、今の私にはあります。だからなのでしょうか?あの頃はわからなかったことが、わかるようになったのは。もし、そうなのであればコレはとても嬉しいことですね。自分で自分が成長したことを感じ取ることができるんですよ。ぜひ、皆さんにも感じ取っていただきたいと思います。自分の成長を自分で感じられる機会って少なくありませんか?滅多にないといっても過言ではないと思いますが、どうでしょう?大抵は、周りの人に指摘されたりして、初めて自分で気づいていませんか?そう言ってもらえたことが嬉しくて、さらに頑張ろうと思って努力したりしました。こういった経験、少なくともあると思います。私もありますから。周りの人に褒めてもらえることって、認めてもらえることって、信頼されることって、本当に嬉しいことですよね。その背景には必ず自分の努力や苦労が実った結果が隠れていたりするんですね。何の理由もなく、褒めてもらえたり、認めてもらえたり、信頼されることはないといっていいと思います。だから、そのために人は努力するんです。信じてもらえるように、いろいろな工夫を施すんです。認めてもらえるように、たくさんの努力をして結果を残すんですね。素晴らしいことです。形ないもののために頑張り続けることは、並大抵の覚悟ではできないことだと思います。最初のうちは順調だとしても、だんだんと調子がわるくなったりしていき、それを何かの所為にして挫折したり、諦めてしまったりすることのほうが多いのでしょう。ですから、最後までやり遂げるということは賞賛するに値することだと思うんですよ。ほとんどの人は全て、結果だけで判断してしまいます。まあ、最終的には結果が全てなんですけどね、その結果を良いものにするためには、途中過程においての出来事が大切なんじゃないかな、と考えます。結果以外はいらない、そう言われたって、結果を出すためには途中過程が必ずあるんです。良い結果が得られなかった場合、それまでの行動を全てひていしたり、貶したりするようなことはしてはいけないことだと思うんです。たとえ良い結果が得られなかったとしても、その途中過程で他の人が考えたりしなかったことをやっていたとしたら。途中過程で効率よく進めるために独自の工夫が施されていたりしたら。そこを褒めてあげてもいいのではないでしょうか?だって、誰にも思いつかなかったようなことを行なっていたのですから、それはそれで凄いことだと思いませんか?新しい発見が増えたんです。嬉しいことでしょう。ですが、哀しいことに結果にこだわってしまう人はそんなことはしません。そうすると、人ってやる気を失くしてしまったりするんですね。結果が全てだとわかっていても、それでも、途中経過で褒めてほしいことはあるわけですよ。ですが別の視点から見たら同じ事なのかも知れませんね…。すべては人それぞれの価値観で決まってしまうモノ…そんな深く考えないで楽しめばいいんじゃないかな?ライブチャットも仕事もね!と、私は思います。


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